関野フィールド2017年7月

今年は色々と忙しく、放置されがちになっている関野フィールド。
そんな中でも、丈夫な作物たちが育ってくれてます。
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湿気の多い土地でも育つハト麦!
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日陰で育つミョウガ!

例年、草に負けてしまうので、今年は一面だけにした稲も
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何とか頑張ってくれてます。
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昔の関野のお話

 6/24、森部がお借りしている関野フィールドの地主、中村正太郎さんに、昔からのこの土地の自然とのお付き合いについてお話を伺ってきました。
 代々この土地に住んで来られた正太郎さんは、フィールドの国道を挟んだ下の土地にお住まいです。 藤野では珍しい、そして関野地区では唯一、現在も水田を耕作されているお家です。 中村家は水田の少ないこの辺りでは珍しく、雑穀は作らずに穀類は米と麦だけ作っていたそうです。それだけ藤野の中では日当たりや水に恵まれた場所だったのでしょう。 森部で稲を作ろうと苦戦してきた山の田んぼは、代々中村家が棚田として利用してきた場所ですが、そこは30年ほど前に止め、現在続けている水田は御自宅の下の土地です。
 田んぼを止め、関野フィールドにはスギが植えられました。 現在この辺りはスギやヒノキの林に囲まれていますが、60代後半の正太郎さんが子どもの頃、棚田の周囲に木はなく、日当たりがよかったので、稲だけでなく、サツマイモもたくさん栽培していました。 今ではこの地域でも廃れてしまった食べ方ですが、イモを粉にして饅頭にもしていたそうです。
現在のお住まいは、正太郎さんと、そのお父さんの親せきで斜面を平らに屋敷引きをして、建てられたお家。 家の建材は中村家の山から伐り出してきたものです。 伐採した木を搬出する時には、佐野川という藤野北部の地域から借りてきた馬を使ったそうです。 伐り出してきた梁丸太・床柱を磨くのには、ワラ縄を濡らし、それに糠をつけてこすっていました。 家の材料、それを搬出する動力、加工する道具、全て自分たち自身や地域内で自給できるものを使っていたんですね。煮炊きにも風呂の燃料にも、薪や炭を使っていました。正太郎さんのお家は、今でも風呂の燃料に薪を使っておられます。
 更に、薪や炭はかつて貴重な現金収入源でもありました。 今でも炭焼きの痕はありますが、正太郎さんの子どもの頃には、既に炭焼きはしていなかったとのこと。 その他の現金収入減としては漆や絹織物などがありました。 甲斐絹と呼ばれる山梨の伝統的な織物を織っていたそうで、奥様のすずえさんから、中村家で譲り受けたという絹織物を見せて頂きました。
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しかし、中山間地で農地に適した平地が少ない上、中央線で東京に通勤可能という条件もあり、この部落の多くの住民は早くからサラリーマンとして都会に通っていたようです。 関野地区でも専業農家は葉タバコを作っていた一人だけで、それも40年前に止めてしまったそうです。 正太郎さんも勤め人として都会に出勤はしていましたが、土日は山仕事や畑仕事をしてきました。 その中で、生活に必要なものを山から調達する術を身に付けて来られたようです。
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 写真は、木を組み合わせて作った背負子や、馬糞ッカゴと呼ばれるモウソウチクで編んだ大きな籠などの日用品。 スギの枝打ちをする時には、山の中で細い木を伐って組み合わせ、梯子を作って木に登っていたそうです。 この梯子は残念ながら、現在は残っていません。どれも作るのには相当器用さが要求されそうですが、昔は誰でも作れる日用品でした。 現在も、風呂の燃料やシイタケのほだ木として山の木を活用したり、お家の周囲の柿や梅で干し柿や梅干を作ったり、山の恵は生活の一部であり続けています。 関野フィールドにも、実のなる位置が高くなり過ぎて収穫できないほどの大木になった百目柿が残っています。
 森部でも、昔からの知恵や技術を活かして森の整備につなげていければよいなと思っています。

5/28東アジア地球市民村

 報告遅れましたが、5/28、日中韓の人達が関野のフィールドを訪問しました。この日は藤野で開催された「東アジア地球市民村」に参加した中国、韓国、日本の人達が、藤野の中の様々な場所でワークショップを受講。その中の一つとして、5人の人達が森部フィールドを訪れてくれました。

 参加者の中には、北海道で自然学校のスタッフさん、日本に留学して環境のことを学び、将来は日中をつなぐエコツーリズムを事業にしたいという中国の企業家青年、ボランティアで海辺をきれいにしているお母さんなど、植物や自然に詳しい人がたくさん参加してくれました。森部の説明や水脈整備の最中に「故郷ではこれ食べます」「サワガニみつけました」…、参加者が色んなものを発見してくれて、楽しく脱線しながら作業できました。
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 まず、最初のワークは久々の水脈整備。しばらく実施してなかった上、雨が少なかったこともあって水脈は詰まり気味です。
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続いて、田んぼに種もみをまきました。ここ2年はなかなか草取りに時間を避けず、収穫もスズメの涙だったので、今年は昨年採れた種もみだけ、4区画あった田んぼの小さな一区画だけに撒きました。代わりにというわけではありませんが、一区画にはハト麦の種を播種。うまく育ってくれるでしょうか。そして最後は、きらめ樹体験。まずは皮をむいた丸太の重さを確認。
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そして、スギの木を一本皮むきしました。ちょっと剥きにくい木で、なかなかツルンといかずに最初は少し苦戦しました。皮むきを残酷と感じた参加者さんもいたようですが、大事な感受性だと思います。でも、皆さん間伐の必要性を理解して下さいました。
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 この日のワークが、東アジアの友好が広まるきっかけの一つになれたらうれしいです。

自伐型林業フォーラムレポート

12月4日(日)、今年最後のふじの自然学校として、地域の皆さんと一緒に名倉の森の整備を実施しました。

一方、森部メンバーBは同日に新宿で開催された、“地球の仕事大學”、“NPO法人自伐型林業推進協会”、“日本自動ドア株式会社”の共済イベント「自伐型林業フォーラム」に行ってきました。

自伐型林業とは、その名の通り、自分の持ち山を自分で伐採する林業のことです。
まずは自伐型林業推進協会代表の中嶋健造さんのレクチャー。
関西弁の軽妙なトークで、日本の林業が補助金で成立している話や、森林・林業再生プラン実施後も林業従事者が減少している話など、具体的な数値を挙げて次々と衝撃的な日本の林業の実態が明かされます。

現在の山林は所有と林業経営が分離された状態で、山林所有者は林業をせず、森林組合などに施業委託するのが一般的です。
委託を受けた業者は、50年程度の短伐期で皆伐、再造林する林業が主流ですが、林価の下落した現在、短伐期では全く採算が合わなくなってしまいました。
所有と経営の分離・短伐期施業とも、戦後、政策的に進められてきたのですが、自分で山に入ることもなく、伐採してもお金にならないでは、山林所有者は森林への知識も意欲も失ってしまいます。

また、近年は政策的に高性能林業機械が導入されてきたことも手伝い、業者は採算を取るため、施業単位の生産量、生産性を追求せざるを得ません。
更に、搬出量が増えるほど補助金が増える仕組なので、山林にバカでかい道を入れて一気に伐り出す短伐期皆伐施業になりがちです。
これでは、土砂流出や森林の荒廃を招く、中嶋さんによれば投機的な「狩猟型林業」になってしまいます。
こんな話を聞いて聴衆が「こらもうあきまへんな」と思った所で、解決策として提示されるのが、自伐型林業!
森林組合などに委託するのではなく、山主さん自身が自分の山を管理する自立・自営型の林業です。

高性能林業機械を用いた大規模経営に対し、小型機械による小規模経営。短伐期皆伐施業に対し、長伐期択伐施業。
…と、国の進めてきた林業の真逆の林業ですが、更に儲けが出るというのだから、結果も真逆。
そして、自分の山だから子々孫々まで利益が出続けるよう大事に活用するので、環境保全型の持続的林業になります。
従来の中山間地の振興策は農業中心の上、農林業が分離していました。
現行収入の少ない農業や観光業ではなく、自伐林業を主業に立てた兼業経営が地域再生のカギになるとのことです。

聞いているといいことずくめの自伐型林業ですが、ユンボを操って林道整備したり、その林道まで材を運んで搬出したり、技術も知識も初期投資も必要で、何より、自分の持ち山がなければ山を入手したり借りたりしたりするところから始める必要があります。
個人で全てを賄うのはそれなりに大変ですが、色んな人達がそれぞれの技や資産を持ち寄れば出来そうな気も。
山をくれる人とか、ユンボをくれる人とか、それを自在に操ってくれる人とか、いたら是非自伐型林業やりましょう。

稲は頑張ってるよ

雨の多い夏の終盤になりました。
お盆の頃にはすっかり川が干上がっていた川が、毎週の大雨ですっかり増水。
沢がU字溝に接続する部分では木の枝がダムになって水を堰き止めていました。
このU字溝は沢の幅に対して狭すぎるので、大雨になるといつも土砂や木が詰まってしまいます。
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さて、稲はどうなっているでしょう?
稲穂が実り始めました!
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雑草に負けず(負けちゃった稲もありますが)逞しく成長してくれました。
今年はお米が食べられるでしょうか?